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ところで、主観的感覚をあらゆる美の根拠として事あるごとに主張してきた美学がそうした感覚を真剣に分析しなかったということは奇妙なことだ。そうした感覚の記述は否応なく、ほとんど卑俗なものであった。それはもしかしたら、主観的という出発点があらかじめ目くらましとなり、芸術家の経験が十分根拠のあるものとされうるのは、ただ事実との関係のなかであって、芸術愛好家の楽しみにおいてではないということが見落とされていたためかもしれない。芸術享受という概念は、社会的な存在としての芸術作品と社会に対するアンチテーゼとしてのその存在の間をとった、たちの悪い妥協の産物である。もし芸術が始めから自己保存の営みにとって無益なものであったとしても―市民社会はそれが無益であることをけっして許しはしないので―、少なくとも芸術は、感覚的快に倣って作られた、ある種の使用価値でもって自らが有用であることを証さねばならない。それとともに、感覚的快のみならず、それの美的な代弁者がけっして与えることのない肉体的充足までもが偽造される。感覚的に識別することのできない人、鈍い音から美しい音を、さえない色から鮮やかな色を区別する能力をもたない人はほとんど芸術を経験することができないということが実体化されているのだ。芸術経験が高まると、自身のうちに鋭敏な感覚を形式することを促すものとして授かることがあるかもしれないが、その際、快楽はろ過されるのである。芸術における快楽の重みはさまざまに変化した。ルネッサンスのように、禁欲的な時代の後に来る時代において、快楽は解放のための手段(オルガン)であり、生き生きとしたものであった。ヴィクトリア朝的なものに反発した印象主義の場合もそれに似ている。一方で、ときおりエロティックな魅力が諸形式のなかに行きわたりながらも、被造物の悲しみが形而上学的な内容として露わになることもあったのだが。だが、快楽の契機が退行しようとする力はとても強力なので、それが芸術のなかに文字通りまっすぐ現れる場所では、そこにはなにか幼児めいたものが留められている。ただ追憶や憧れのなかにおいてのみ、写されたものはなく直接的な効果として、快楽は芸術によって吸収される。むき出しの感覚に対するアレルギーが結局、快楽と形式がいまだより直接的に通じ合うことができた時代を退けてしまう。印象主義がこのむき出しの感覚を持っていたからこそ、印象主義からの離反がもたらされたのかもしれない。(石田)
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