忍者ブログ
1 2 3 4 5 6 »
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

I. 芸術、社会、美学

1. 芸術の自明性の喪失

 今日、芸術に関して自明であることはもはや何ひとつないということが自明になった。芸術の内部や芸術の社会全体との関係においてだけでなく、その生存権すら自明ではないのである。反省や問題意識なしに行われ得るものの喪失は、反省の対象となるべき生成され得るもの(möglich Gewordene)の開かれた無限性によって、補償されるわけではない。拡大は多くの分野において収縮として現れる。1910年頃に革命的な芸術運動が予感さえ及ばない海へと漕ぎ出して行ったが、その海も約束されていたような冒険的な幸運を与えることはなかった。そのかわり当時解き放たれた過程は、その名のもとで始められた諸範疇を侵食していった。新しくタブー化されたものの渦へと引きずり込まれるものは常に増加していた。芸術家たちは至るところで、新しく勝ち取られた自由の王国に対してよりはむしろ、直ちに再び名義上の、支柱がないも同然の秩序を得ようと努めることにこそ、喜びを感じたのである。なぜなら芸術という一つの項目における絶対的自由は、社会全体における頑強なまでにはびこる不自由な現況と、矛盾に陥るからである。かくして芸術の立ち位置は不確かなものとなった。芸術が求めていた自律性は、礼拝的機能とその残像を振り払った後は、人間性という理念を糧とするようになったが、社会が人間性を失っていくに従い、芸術の自律性も破壊されていった。人間性という理想から芸術に帰された、芸術において本質を形成するものは、芸術独自の運動法則により色あせてしまった。確かに芸術の自律性は、取り消しが効かない。芸術が疑っているもの、疑いを表明しているものを、芸術の社会的機能によって取り戻そうとしたあらゆる試みが失敗に終わった。そして、芸術の自律性は、盲目性という契機を誇示し始めている。これは以前から芸術に特有のものであった。すでにヘーゲルの洞察によって明らかなように芸術が素朴でないこと(Unnaivetät)を顧慮せずとも、芸術の解放の時代においては盲目性が他の契機を覆いつくしてしまうのである。素朴でないことは、素朴さの第二の可能性、すなわち、美的目的の不確かさと結びついている。不確かであるのは、芸術はそもそもまだ可能であるのか、芸術は完全に解放された後、その前提条件を掘り崩し、失ってしまったのではないかということである。そうした問いは、かつての問いに端を発してきたものである。そもそも芸術作品は経験的世界の外へと赴き、それとは正反対の自身の本質を持つ世界、あたかも実在しているかのように世界を生み出すのである。それゆえ、それがどんなに悲劇的に振舞うにせよ、その世界はアプリオリに肯定的な傾向を持つ。芸術の慰めの反映(Abglanz)は現実にも広く行き渡るといったクリシエは、不快なものである。しかしそれは、そうしたクリシエが芸術という強調された概念を、芸術にブルジョワ的な装備を与えることでパロディ化するから、あるいは、それが芸術を慰めとしての日曜日の催しへと組み入れるから、という理由のみによるわけではない。そうしたクリシエは、芸術の傷それ自体に触れるものでもある。神学、救済の真実への尽きることのない要求を避けがたく棄却することによって、すなわち、芸術がそれぬきには発展し得なかったところの世俗化によって、芸術は、存在するもの(Seiende)、存続するもの(Bestehende)に慰めの言葉を与えることを余儀なくさせられている。その言葉は他なるものへの希望を欠き、芸術の自律性が解放されたいはずのその呪縛を、却って強化してしまう。自律性の原理それ自体が、そのような慰めの言葉であるという疑いもあるのだ。その原理が、それ自体から全体性を、つまり欠けるところのないもの、それ自体完結しているものを想定することによって、そのイメージ(Bild)は芸術が存在するところの世界、芸術を成熟させるものとしての世界へと転用されるのである。経験を拒絶することで―そしてこの拒絶は芸術の概念においては単なる逃亡ではなく、芸術に内在する法則でもあるのだが―芸術は経験の優位を承認するのである。ヘルムート・クーンは芸術を賞賛するある論文において、いずれの芸術作品も(経験への)賛辞であると証明した。彼のテーゼは、それが批判的である限りは真実といえよう。現実が異常に発育した姿に直面して、芸術の是認的本質―それは芸術にとって不可避的なのだが―は耐え難いものとなった。芸術は自身の概念を形成するものに対抗せざるを得ず、それにより最奥部の細かな繊維に至るまで不確かなものとなる。しかし、芸術は抽象的な否定によって片付けられるべきものではないだろう。芸術は、伝統全体を通して、芸術の地層として保証されると思われていたものに着手することによって質的に変化し、芸術の側に立ちながらも他の何かになるのである。芸術に他なるものになるのが可能であるのは、存続しているものの要素の形成がその存続の援助となったのと同様に、時代を貫き、芸術の形式の力で、単に現存し、存続するだけのものに対抗するからである。芸術は、慰めの一般的な決まり文句にも、またその逆のものにも帰されることはほとんどないのである。
(水田)
PR
2. 根源への問いに対して

 芸術はその概念を、歴史的に変化する諸契機の布置に有している。それゆえ概念は自ら定義することを拒否する。芸術の本質は、その起源からして演繹不可能である、それはあたかも、続くあらゆるものが始めのものに基づく地盤となり、それがぐらつくとすぐに崩れ落ちてしまうようなものである。
 初期の芸術作品が最も高次で純粋なものであるという信念は、遅れてやってきたロマン主義に過ぎない。そして、ごく初期の芸術めいた作品が、呪術や、歴史的記録から未分化だからといって、また叫びや吹奏音によって広範囲に連絡をとりあうというような実践的な目的から未分化だからといって、不純であって純粋ではないということもまた、わずかな正当性によっても是認され得ないだろう。擬古主義の着想は好んでこのような論証を用いた。大まかに、歴史記述において資料は歴史的に曖昧になる。
 芸術の歴史的な起源を存在論的に、ある一つの究極の動機に包括するという試みは必然的に、〔実際との〕乖離のうちに、失敗に終わるが、この場合、理論にとっては、次のような洞察——もちろん重要な洞察であるが——以外何も残らない。つまり諸芸術は、芸術を矛盾なく同一性のうちに整理することはできないという洞察である。美的な初期のものαρχαιに費やされる考察において、実証主義的な資料収集と、普段は学問とはそぐわないような推測が、並存してはびこっている。J.J.バッハオーフェンは、もっとも顕著な例であろう。
 そのような考察に代わって、哲学的な慣習に従い、いわゆる根源への問い(Ursprungsfrage)を、本質的な問いとして、原始への発生学的な問いから区別しようとするなら、この根源(Ursprung)の概念を、その意に反するような語義に反して利用することになり、恣意的に述べていることになってしまう。芸術が何であるのかの定義はいつも、芸術がかつて何であったかという前もって定められたことに基づくのであるが、しかし〔ということは〕芸術の定義は、芸術が何のために生み出されるのか、ということについてのみ証明されるにすぎないのであって、それが何になろうとしているのか、そして何になりうるのかということについては未決定である。芸術の定義と単なる経験的なものとの違いは認められるべきであるが、芸術はそれ自体質的に変化する。かつては芸術ではなかった多くのもの、例えば礼拝的な図像が、歴史とともに芸術になり、〔逆にかつて〕芸術であったが、もはや芸術ではない。浅はかに導かれる問い、すなわち映画のような現象が芸術であるのか否かという問いは、あまり意味がない。芸術において生成されたものによって、芸術の概念は、芸術が含んでいないものへとしむけられる。
 芸術ではなくなったものと、芸術の過去との緊張関係によって、いわゆる美的な構成についての問いは明確に限定される。芸術は、その変化の法則に関してのみ説明可能なのであって、不変の法則によるのではない。芸術は、芸術ではないものとの関係において規定される。芸術の中にある、特有の芸術らしさは、芸術以外のものに由来し、つまり内容的に導かれなくてはならない。それだけが、唯物論的—弁証法的な美学の要求を満たすであろう。芸術が自らを詳細に示すのは、芸術が生じたところから、それによって自分自身を特化することにおいてである。芸術の変化の法則が、芸術の特有な形式法則である。芸術は芸術以外のものとの関係においてのみ存し、芸術以外のものとの係争である。再編された美学にとって自明な事は、後期のニーチェが伝統的な哲学に抗して展開した認識——すなわち生成されたもの(Gewordene)もまた真実でありうるということ——である。伝統的な見解、すなわちニーチェによって破壊された見解は、逆転させるなら、真実はただ出来上がったものとしてのみあるということである。芸術作品に関してそれ自体の法則性として現れるものは、世俗化が進行するまっただ中での芸術のあり方と同様に、内在的な技術的進化の後にくる産物である。それにもかかわらず、疑いもなく、芸術作品はその根源を否定することで芸術作品となった。芸術は、遡って芸術がなにから生じたのかということについて無に帰したのだから、芸術に対して、昔それがいかがわしい魔術、賦役、気晴らしと依存関係にあったという不名誉を原罪として突きつけるべきではない。卓上の音楽(Tafelmusik)が解放された音楽にならざるを得ないわけではないし、また卓上の音楽が人間に畏怖の念を起こさせる礼拝音楽——自立的な芸術は罪深くも礼拝音楽から逃れた——であったわけでもない。今日人類が芸術として獲得しているあらゆるものの圧倒的な大部分が、あのような喧噪の残照だからといって、[自律的]芸術の蔑むような擬音(Klappern)がよりよいというわけではない。
 (吉田)
3. 作品の真実内容と生命

芸術は死にゆくものであるというヘーゲルの見かたは、すでに生じたもの[Gewordensein]としての芸術に対応している。ヘーゲルは、芸術を過去的なもの[vergänglich]として考える一方で、それを絶対精神の中に数え入れた。このことは彼の体系の二面性と調和するものであるが、それはまた彼が決して導き出さなかったであろう一つの帰結を指し示すものでもある。すなわち、芸術の内容[Gehalt](ヘーゲルの構想にしたがえば、芸術における絶対的なるもの)は、芸術の生死の次元に解消されるものではないという帰結である。芸術は、それ自身の過去性のうちに、その内容を持つものかもしれないのだ。遅れてきた芸術としての音楽が人間〔の歴史〕のうちのある限られた時代においてのみ可能であったということは、〔具体的に〕想像可能なことであり、単なる抽象的な可能性ではないのである。

芸術の反抗は――これは、芸術の「客観性に対する姿勢」の中に、つまり歴史的世界の中に目的論的に位置づけられるのだが――芸術の芸術に対する反抗になっている。芸術がそのような状況を耐え抜くかどうかについて予言することは意味のあることではない。かつて反動的な文化悲観主義ががなりたてたことは、ヘーゲルが150年前に考えたような、芸術はその没落の時代に入っているのかもしれないといった文化に対する批判によって抑えることのできるものではないのだ。一世紀前にランボーの度肝を抜く言葉が新しい芸術の歴史をある意味究極的なかたちで先取りしていたのと同じように、彼の沈黙(雇われ人としての順応)はその〔没落の〕傾向を先取りしていたのである。美学は死んだ芸術を回顧するものになるのかどうか、どちらにしろ今日の美学にその選択権はない。しかし、美学は弔辞の読み上げ役を演じるべきではない。原則的に言って美学は〔芸術の〕終焉を確認すべきものではないし、過去のものによって生気を得るべきものでもなく、また、それがどのような名目においてなされるかに関わらず、野蛮に走るべきものでもない。野蛮は、それ自らの野蛮な所業に対する報いとして野蛮を招いてきた文化と、さしてちがうものではない。

とは言え、芸術がおのずから追放されるものであろうが、自身を追放するものであろうが、消滅してしまうものであろうが、あるいは絶望的なかたちで存続するものであろうが、過去の芸術の内容が必然的に消えていくということにはならない。自身の文化の野蛮から脱け出した社会においては、芸術の内容は芸術よりも生きながらえることができるのである。たしかに、いまや形式のみならず無数の素材[Stoff]が死滅している。たとえば、19世紀から20世紀初頭のヴィクトリア朝的な部分の埋め合わせをしていた姦通文学は、ブルジョワ的小家族の解体や一夫一妻制の緩みにしたがって、直接的な実感をもって読まれることはもはやほとんどないのであり、それはただグラフ雑誌の通俗的な読み物のうちに倒錯したかたちで無様に生きているにすぎない。しかし、それと同じ程度に、『ボヴァリー夫人』における真正なるもの――かつて、その主題内容[Sachgehalt]に埋め込まれていたもの――は、その主題内容とその衰退とをとうの昔にすでに飛び越えていたのである。むろん、そのことをもって不滅の精神を信じる歴史哲学的な楽観主義を導くべきではない。素材内容は、それ以上のものをも道連れにして落ちぶれるかもしれないのだ。しかし、芸術と芸術作品がはかないものであるのは、それらが――たんに他律的に依存しているだけのものに限らず、自律的に形成されるもの(これは分業的で分裂した精神の社会的な位置づけを追認する)まで含めて――芸術であるのみならず、芸術にとって未知のもの、芸術に相反するものでもあるからである。芸術の概念そのものの中に、その概念を止揚する酵素が混合されているのである。
(松永伸司)
1 2 3 4 5 6 »